梓山獅子踊保存会

梓山獅子踊り由来

米沢市の東、万世町に梓山という地区がある、梓山と書いて(ずさやま)と読む、
そこに代々踊り伝えられている獅子踊りが2つある、梓山上組獅子踊りと梓山下組獅子踊りである,この2つがまとまって「梓山獅子踊り」といい米沢市、山形県の無形民俗文化財に指定されている。

 梓山獅子踊りの祖先は、正親天皇が天正2年3月京都に禁裏御殿(紫宸殿シシンデン)
を造営の際地固め祭りにおいて、文武百官の前で踊り「天下一」と称され併せて「日の丸」の扇の纏を賜り その後、寛永11年3代将軍家光が日光東照宮造営の時、文挟部落の獅子踊りが地固め踊りを奉納し「天が一関東文挟踊り」の称号を賜った。そしてこの踊りがますます有名になり、当地区にまで伝えられたとされる。

 上組・下組み、曲目踊りに差異があり双方個性がある。

下組みは「優雅」な踊り、上組は「勇壮」な踊りとされ、両者相まって梓山獅子踊りを形作っている。


上組獅子踊り

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たまたま文挟流獅子踊りの名人「文挟太夫和泉屋庄左エ門」が全国流布の折、梓山に滞在し踊りを伝授されたが、田楽踊りや念仏踊りが盛んになり獅子頭が法将寺の物置に残されていた。

寛政9年に当時15歳の我妻隆助翁が中心となり若者により21年かかって南原李山の長衛門に教えてもらい文化14年の3種の踊りを完成させた。

 その後、文政11年に会津の下柴村文挟流古橋角太夫からも各種の秘法を伝授した。踊りは毎年作祭りの踊りとして盆の15・16日に明治35年まで踊られていた。大正年間にも数回踊られたが絶えたままになっていた。

 昭和28年、福島-米沢国鉄電化完成の時、宮坂善助翁から我妻菊治村長に出演要請が契機となり35年ぶりの復興となり、現在に至る。演目は「梵天舞」「花吸舞」「鶏徳舞」の三庭からなる。

毎年盆の8月16日午後3時より法将寺境内にて披露している。


下組み獅子踊り

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寛政9年夏、左四郎翁が中心となり若者の協力のもと文化14年夏まで21間で3種の踊りを習得し、復興したと伝えられる。また、上組と同じく下柴古橋角太夫から秘法を伝授、現在に至る。

 縁起として伝えられているものに「天正2年3月から7月にかけて大疫が流行した時、7月に異人(?)が来て毎春彼岸の7日間獅子踊りをすれば災難免れ五穀豊穣する」といわれ実行したら病は治り、以来彼岸7日間神明獅子踊り」を踊るとあり、会津の彼岸獅子の流れを汲むものと推定される。

演目は「大和舞」「春日舞」「三笠舞」の三庭からなる。

毎年盆の8月15日午後3時より松林寺境内にて披露している。


店舗情報

名称 梓山獅子踊保存会 (ずさやまししおどりほぞんかい)
活動場所 米沢市万世町梓山
TEL (1)0238-28-3796
(会長・上組会長:山田富士男)

(2)090-3124-5943
(副会長・下組会長:山田長一)

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カテゴリー 民俗芸能